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文化・芸術

VOICE CHOIR BOYS

「トムさんのサッカーABC’S」という本を最近読んでるわ。漢字に全てカタカナのルビがついてる子供向けの本なんだけど、アタイみたいな初心者には参考になることよ。フェイントの図解の動きとかも、「な~るほど!」という感じで新鮮な驚きがあるし。クーバー・コーチングが大人を対象にレッスンしていればぜひ参加してみたいわ。

土曜日、VOICEというHIV啓蒙のイベントに行ってきたの。場所は四谷区民ホール。入場券と引き換えに茶袋をもらったのだけど、このような気の効いたものが入っていて嬉しかったわ。(ゴムケースですって)

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啓蒙イベントといっても、講義だけでは移り気なオ釜の心を集中させるのは難しいからなのか、構成は女装のショーがメイン。HIV関連としては、ポジティブの人の肉声をまとめたドキュメントフィルムが間に10分ほど上映されてました。メインのショーでは、特にブルボンヌさんの「インタビュー(風の谷村長ナウシカ編)」が秀逸でした。欲求不満のナウシカ村長にインタビュアーであるブルボンヌを快楽の世界に誘う・・というパロディなんだけど、実際の映画から台詞を拾って面白おかしく編集する技術には本当に脱帽したわ。以前、三田佳子が愚息の不始末で記者会見をするという設定で、映画「Wの悲劇」で佳子があぱずれ女優を演じた時に薬師丸ひろ子をかばうためビッチな演説をした時の台詞を編集したすごい傑作を作っていたけど、今回のはそれに匹敵する位のできだったと思うの。オ釜芸には厳しい店子の友だちも涙を流して笑ってたし、アタクシも1年分くらい笑わせていただいたことよ。映画「風の谷のナウシカ」を観る楽しみが増えた感じだわ。

今日は、半年振りに会った彼スと CHOIR BOYSという男声コーラスのコンサートに行ってきたの。場所は東急多摩川線下丸子駅前、太田区民プラザよ。行きの電車は短髪髭集団で半分くらい占拠されていた気がするわ。コンサートは、第一部は皆盛装で童謡を安田姉妹のように歌っていたのだけど、10分位で終了。メーンイベントは第二部、「夜のヒットスタジオ ~秋の狂い咲きスペシャル~」で、古館伊知郎役と女装の芳村真理役のオ釜が司会を務めていたわ。ピンクレディー、キャンディーズの競演(もちろん女装)から始まり、男の歌手もあったけれど、基本的には女シンガーの曲が中心だったわ。ステージの中央部が可動式になっていて、ふんどし姿の男や女装がステージを上下移動していたのが新鮮だったことよ。明らかにへんてこに見える芳村真理がステージに出てきた時、笑う観客に「ここ笑うところじゃないのよ!」とキレてたのがいちばん面白かったかも。

その後、彼スのお友だちがいたのでお茶でもということになり、ニチョに逝きココロカフェで飲み食いした後、時間が早かったのでZIPで談笑したわ。性生活の話からなぜか最後は日本の軍事問題、ベルリンの壁崩壊の裏話、朝鮮問題、そして政界を裏で操っている組織の話などに話題が移り、何となくおどろおどろしい気持ちで店を後にしたことよ。

「私の運命の人は、あなただけではない」

釜友の勧めで、「絶対王様」という劇団の公演を3年前位から、ほとんど見ています。今まで見た中で一番印象に残っているのが「地底人と恋」。設定は35年後くらいの日本。北極と南極が入れ替わることが原因で、あと3日で地球が滅亡するらしい。そんな時に、仲良しの男女グループが旅館に遊びに行くところから始まる。

主役は、「誰とでも寝る女」(川崎桜さんという女優がが演じている)。グループの男と全員寝てるけど、誰とも付き合わない。微妙な距離感を持って、全員と接している。誰かと付き合うと、他の誰かと付き合えなくなるのが嫌だ、というよりも、単純に付き合うのが「面倒くさい」のである。

彼女は、自分と寝たがる男と、性行為でつながっているが、それは自らの欲求ではない。決して無理強いされているのではないが、セックスをさせることで、それらの男に対して優位性をもち、また関係性をつないでいる。物語はそこで、「地底人」と名乗る奇妙な男が出てきて、彼女に、「そのままでいていいんだよ」と語りかける。性を媒介につながること自体は悪くは無い。しかし彼女自身が望んでいる人間関係、そして人生は、自らが模索して選ぶ、チャレンジングなものだったのではないだろうか。

地球が滅びる日、彼女を肯定した地底人が実は彼女の妄想が作り出した幻覚であったことが判明した。極限の状況の中で、人生が終わる前に、救済(癒し)を求める心理機構がそうさせたのかもしれない。彼女は「救われたと思ったが、救われなかった」事実に号泣し、救われないまま舞台は幕を閉じる。

「私の運命の人は、あなただけではない」という彼女の冒頭での台詞に、私は無性に共感した。どちらかというと誰かと一人だけ付き合う、というのは不得手だというところが似ているからだと思うけど、同時に、短い人生、そんなちゃらんぽらんなんで幸せなの?という囁きもどこかから聞こえてくる。本当は特定の誰かに依存したり、愛されたいのに、そう願うことをプライドが許さず、ただ誰かが自分を求めてきたときに、時には妥協的に、関係を結ぶ(もちろん、相思相愛の場合もあるけどね)。誰もがある程度妥協しているけど、彼女がそうできないのは、やはりプライドが高く、自分を守りたいからなのかもしれない。

そのプライドと、欲求のバランス地点を、上げることで、人生をクリエイトしていきたいって彼女は本当は気づいていたんだと思う。傷つくことを覚えて、少々のショックにめげない自我を作ること。無意識下の理想と現実とのギャップに苦しんでいたと思うけれど、理想も社会が決めた価値観の反映かもしれないと思うからこそ、「運命」を選ぶことを躊躇し続けたんだと思う。運命の男を一人に絞らなかったことが彼女の過ちではなく、頭の中でくよくよ考えてばかりで、何でも自分の意思でやってみなかったことが、彼女の了見の狭さを作り、ますます彼女を袋小路に追い詰めたのではないかしら。

地底人は、そんな彼女をまとめて受け入れた。彼女も、こんな自分でもいいんだと思えかけていた。もし地底人が「実在」していたら、彼女の最期は安らかに迎えられたんじゃないかとも思う。また生きていたとしても、地底人との出会いでまたぼ~っと安楽死のような人生が送れたと思う。認めきってしまうことと自己嫌悪に陥ることと、どちらがプラスになるかは分からない。地球が滅びるってことも彼女の夢の世界であり、夢から覚めた後に、彼女が見たものをいかせるっていう結末だったら、彼女にとっては良かったと思う。もしかしたら、観客はそういう立場なのかもしれないわよね。