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「私の運命の人は、あなただけではない」

釜友の勧めで、「絶対王様」という劇団の公演を3年前位から、ほとんど見ています。今まで見た中で一番印象に残っているのが「地底人と恋」。設定は35年後くらいの日本。北極と南極が入れ替わることが原因で、あと3日で地球が滅亡するらしい。そんな時に、仲良しの男女グループが旅館に遊びに行くところから始まる。

主役は、「誰とでも寝る女」(川崎桜さんという女優がが演じている)。グループの男と全員寝てるけど、誰とも付き合わない。微妙な距離感を持って、全員と接している。誰かと付き合うと、他の誰かと付き合えなくなるのが嫌だ、というよりも、単純に付き合うのが「面倒くさい」のである。

彼女は、自分と寝たがる男と、性行為でつながっているが、それは自らの欲求ではない。決して無理強いされているのではないが、セックスをさせることで、それらの男に対して優位性をもち、また関係性をつないでいる。物語はそこで、「地底人」と名乗る奇妙な男が出てきて、彼女に、「そのままでいていいんだよ」と語りかける。性を媒介につながること自体は悪くは無い。しかし彼女自身が望んでいる人間関係、そして人生は、自らが模索して選ぶ、チャレンジングなものだったのではないだろうか。

地球が滅びる日、彼女を肯定した地底人が実は彼女の妄想が作り出した幻覚であったことが判明した。極限の状況の中で、人生が終わる前に、救済(癒し)を求める心理機構がそうさせたのかもしれない。彼女は「救われたと思ったが、救われなかった」事実に号泣し、救われないまま舞台は幕を閉じる。

「私の運命の人は、あなただけではない」という彼女の冒頭での台詞に、私は無性に共感した。どちらかというと誰かと一人だけ付き合う、というのは不得手だというところが似ているからだと思うけど、同時に、短い人生、そんなちゃらんぽらんなんで幸せなの?という囁きもどこかから聞こえてくる。本当は特定の誰かに依存したり、愛されたいのに、そう願うことをプライドが許さず、ただ誰かが自分を求めてきたときに、時には妥協的に、関係を結ぶ(もちろん、相思相愛の場合もあるけどね)。誰もがある程度妥協しているけど、彼女がそうできないのは、やはりプライドが高く、自分を守りたいからなのかもしれない。

そのプライドと、欲求のバランス地点を、上げることで、人生をクリエイトしていきたいって彼女は本当は気づいていたんだと思う。傷つくことを覚えて、少々のショックにめげない自我を作ること。無意識下の理想と現実とのギャップに苦しんでいたと思うけれど、理想も社会が決めた価値観の反映かもしれないと思うからこそ、「運命」を選ぶことを躊躇し続けたんだと思う。運命の男を一人に絞らなかったことが彼女の過ちではなく、頭の中でくよくよ考えてばかりで、何でも自分の意思でやってみなかったことが、彼女の了見の狭さを作り、ますます彼女を袋小路に追い詰めたのではないかしら。

地底人は、そんな彼女をまとめて受け入れた。彼女も、こんな自分でもいいんだと思えかけていた。もし地底人が「実在」していたら、彼女の最期は安らかに迎えられたんじゃないかとも思う。また生きていたとしても、地底人との出会いでまたぼ~っと安楽死のような人生が送れたと思う。認めきってしまうことと自己嫌悪に陥ることと、どちらがプラスになるかは分からない。地球が滅びるってことも彼女の夢の世界であり、夢から覚めた後に、彼女が見たものをいかせるっていう結末だったら、彼女にとっては良かったと思う。もしかしたら、観客はそういう立場なのかもしれないわよね。

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